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妻もペダルも踏み越えて 広島死闘編









 








 















 











元新聞記者 上野さんのひとりごと





















 















仰木監督おめでとう

○1995年10月号掲載

 初優勝を果たしたオリックスの仰木監督は気さくな人だ。11年前の84年、私は近鉄担当で、仰木さんは同球団のヘッドコーチをしていた。九州・日向の春季キャンプを初めて取材に行ったとき、恐る恐るといった感じでインタビューを申し込んだ。

 初対面なので邪険にされるかなと思ったが、全く違う。練習の真っ最中なのに名刺を渡すと、「おう、今でもいいよ」とあっさりした返事。「今シーズン活躍しそうな選手はだれですか」など、低レベルの質問にも嫌がらずに答えてくれたのを思い出す。取材は約1時間に及んだ。

 何年前だったろうか、印象的な思い出がもう一つある。大阪空港だった。出張の帰りで廊下を歩いていたところ、はるか向こうから「おーい」と声がした。周辺に人がいなかったので、自分かなと思い振り向くと、仰木さんが手を振っている。「どうも、どうも」と言いながら頭を下げたが、恐縮した。

 別にそれほど親しいわけではなかった。別にそれほど親しいわけではなかった。それなのに、一介の記者に気さくに声をかけてくれる人だった。

 だから、報道陣に好かれる。好かれるから悪意に満ちた記事を書かれない。選手もそれを見て尊敬する。懸命にプレーする。好循環だ。優勝した翌日の新聞に「ついていける監督です」とイチローの談話が載っていたが、他の選手も恐らくそうだろう。

 イチローの場合、本名の鈴木一朗を監督の一存で変えられたことに当初不快感を抱いていたが、今はそんな気持ちは全くなさそうだ。仰木監督に手腕に加え、人柄にもよるのだろう。

 今季、監督が最も腐心したのは選手の心に巣くう西武コンプレックスを解消することだった。そんな意識の薄い若手や外国人選手を積極的に使い、見事に成功した。ネームバリューだけで起用する愚は犯さなかった。

 また阪神大震災に苦しむ地元の人々を励ます意味でも、西武に負けるわけにはいかなかった。ファンの記憶に強く、長く残るVだろう。


※団体や個人の名称、役職等はすべて当時のまま。

2007 / 12 / 26 (水)



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